天井裏

2020.05.14 木曜日 16:49

診療所の改修計画がスタートし現地に伺った。

押入の天井から小屋裏を覗いてみた。築30数年の木造建築。できれば改修後の空間に変化を持たせたいと思い天井を工夫できないものか少し眺めてみる。小屋裏の軸組に問題はないようだ。奥の方に太鼓梁も発見。天井を撤去して一部勾配天井にできそうだ。ほこりを被った上棟飾りにはさらに数十年お世話になることになる。無事に竣工する日を迎えられますように。

山々のなかで

2020.04.16 木曜日 22:21

西に八ヶ岳、南に甲斐駒ヶ岳、そして東の遠方に富士山。

素晴らしい山々に囲まれた敷地に新しいプロジェクトが始まる。

ご夫婦が営む診療所だ。

不安定な世の中であるがこうして美しい空間に建築を設計できる喜びと感謝を想わずにいられない。世の中がどうなろうとも建築は何十年もその場に存在する普遍的なもの。私も山々のようにどっしりと構えて設計に励もうと思う。

ちなみに写真中央は敷地北側の瑞牆山(標高2,230m)かな。

落款印

2020.01.17 金曜日 18:29

年賀状は15年前から木版画を刷っている。今回はその版画でなく、画面の端に押される落款印について述べたいと思う。

落款印は作品が出来上がったときに押される「締め」みたいなものと思い、終わりよければ全てよしではないが、少し気にして画材を決めた。

数年までは、一般的なインクが染み込んでいるタイプの朱肉を使っていたのだが、なんか物足りない感じがしていた。

そこで、知人を教えてもらい本場中国の朱肉を取り寄せた。その朱肉の名はズバリ「美麗」。辞書によると「人の目にとまるほど美しいこと」らしい。

やはり一般的な朱肉とは色の深みが全く違う。これだけで作品のレベルが上がったようにさえ見えてくる。

ただ、美しいものは扱いが難しいのか、とても手間がかかる。粘土ようにグニョグニョしてるので印鑑の面に朱肉を乗せすぎないようにしながら均一につけなければならないし、印鑑にハァーと息を吹きかけて朱肉を柔らかくして力強く押す必要がある。押した後もなかなか乾かない。

そんな作業を妻に手伝ってもらいながら年賀状を作るのが、毎年12月30日の我が家の風景た。

立体作品

2019.12.09 月曜日 8:45

ここ数年か、年末に開催される合同展に私の作品を出展させてもらっている。普段は油彩など平面作品を手がけ、中央で活躍されている画家さんたちが立体に挑戦するという展示会。私は画家ではないが建築という立体を扱うデザイナーという立場で特別に参加させてもらっている。というわけで建築っぽいレリーフを作ってみた。

今週末まで銀座のGallery風で開催中。

風・Paradigm

2019.12.9ー12.14

12:00-19:00 最終日17:00まで

Gallery風

S保育所オープンハウスの報告

2019.12.04 水曜日 8:13

先月の17日に東村山市S保育所のお披露目会が無事に開催された。施主や施工車である相羽建設株式会社の全面的な協力により実現し成功裏に終えることができた。園の理事長をはじめ職員の方々、相羽建設のスタッフの方々に対し感謝以外の言葉は見つからない。また、休日にも関わらず足を運んで頂いた関係者の方々にもお礼を申し上げたい。

今回の見。学会は竣工後6ヶ月経過した時期に行われた。園庭に仮園舎を建設した建替計画であり仮園舎が解体され外構が整備られるための少しの期間を要したことも理由のひとつだが、まっさらな新築より少し使い込み住まい手の考え方が感じ取ることができる状態の方がより有意義な機会になる考えた。特にこの保育所の方針のひとつに「自然にとけ込んで思い切り遊ぶ保育」とあり野菜などの栽培を通じて土や緑との触れ合いを大切にしている雰囲気を来園者に体感してほしかった。

天候に恵まれ、園職員のご厚意による手づくりスコーン振る舞われ、来園者にゆっくりとした時間を過ごしてもらえたと思う

保育所のオープンハウス

2019.11.16 土曜日 20:58

私が設計を担当した保育所が竣工し、建築主の厚意でオープンハウスが開催することになり、いよいよ明日に迫った。

すでに5月から運営は始まっており、普段どのような生活が営まれているのかその様子をぜひ感じてほしいと思いこの季節の開催となった。
園舎だけでなく動物小屋や様々な植栽がある豊かな園庭も楽しんでいただきたい。計画開始から3年半、保育園が歩んだ物語を紹介予定。市川

日時:2019年11月17日(日)10:00~16:00
場所:東京都東村山市

介助しやすいトイレ

2019.11.09 土曜日 11:04

今回は介護用に設計したトイレの話。

おばあさんと同居することになった住宅の増築計画である。介護にはいろいろな段階はあるが、介助者が必要な場合、介助しやすい位置は便器の横になります。車いすを横付けして抱き上げての移動や拭く手伝いする動作でも横が便器横が開いていることが重要。

廊下から見たトイレの引き違い扉。奥がおばあさん用の寝室。トイレが隣接している計画。

こどもの居場所

2019.11.02 土曜日 20:52

お子さんがいる家庭で、宿題をどこで行うかいろいろな考え方があると思う。子供のプライベートを尊重して、専用に部屋を設ける考え方。いわゆる子供部屋の設置。

その対極として宿題や勉強を家族にコミュニケーションのツールと考えて、普段親の目が届き宿題を一緒に考えることができるダイニングテーブルなどの家族共用空間をその場とする考え方がある。

そのふたつの考え方を両端の位置にあると定義してみる。子供の成長の過程でその両端だけで成立するのだろうか。小学生高学年にもなれば親に全てをさらけ出すのもどうかと思う年齢になり、親に内緒で友達とSNSで楽しみたいこともある。一方親としてはまだまだ幼い子供を部屋に押し込めるには不安があると考える。やはり中間的な居場所は欲しいところ。

そこで、階段に上がりきったホールに板を渡しただけの作り付けの机を設置してスタディコーナーを提案してみた。子供としては親の視線が気にならなくなるし、親としてもなんとなく気配は感じ取ることができるちょうど良い中間領域になった。帽子やランドセルをかけられるように壁の一部に板を張るなど「装置」にも気を使った。子供部屋よりは開放感を感じられる空間ボリュームにして部屋にこもらないように工夫した。

ワイン博物館

2019.10.30 水曜日 13:08

以前、海外で感じた街であふれる会話の想いを書いた。その続き。

先日、フランス・ボルドーを訪れた。ワインの街ボルドーにはワイン専門の博物館がある。まずは建築、XTUアーキテクツの設計。郊外の再開発エリアにあるその建物は、エスカルゴの様な、デキャンタの瓶の様な複雑な曲線で構成された建物。写真での印象とは違って圧迫感を感じるような巨大建築ではなく上手くスケール感を調整していると思う。外部の印象より内部が広いと感じた。

建築も斬新だが、展示物も経験したことがない展示手法だった。入口でスマホ大の端末とヘッドフォンを渡される。一般的に美術館などの有料音声ガイドは補助的な解説用であり借りなくて展示は楽しめるが、この博物館ではその端末がないと成立しない。至るところに端末をかざす印があり、近づけると音声が流れてくる。ほとんど文字情報のパネルなどは見当たらず、各展示物は端末からの音声で情報を受ける。一見何の展示が分からなくてもその印を探して解説を聞きながら楽しむ、その行為が展示に対しなんとなく能動的に参加しているような気持ちなるのだ。

その端末は 日本語など20か国に対応しているが、ついでに作った感は全くなく、翻訳家や脚本家、複数の声優などきちんとした日本語録音チームによって制作されたのは想像に難くなくとてもクオリティーが高い。展示量はとても多く、それを20カ国分あるのだからコストと手間は膨大だっただろう。そのあたりが言葉を重んじる国民性の良さかなと思うだが、さらに印象的な展示があった。

細長いダイニングテーブルがあって、ワイングラスやお皿を模したオブジェが乗っている。その周りに背もたれが高い椅子が並んでいてそのうちの2つの背もたれがディスプレイになっている。その画面には若いソムリエともう一方には客の紳士が映っていて、ワインについて熱く語り合っているのだ。空いている椅子に座っているとあたかもどこかのレストランでふたりの会話に参加しながら食事しているような錯覚になる。わざわざその雰囲気作りをする発想がとても興味深い。やはりワインは重要なコミュニケーションツールということなのだろう。

他にこの博物館ではワインの試飲もできる。試飲と言ってもワイングラスで通常に量なので弱いわたしはしっかり酔ってしまった。

建築が消えるとき

2019.10.26 土曜日 14:28

建築設計を生業にしてから久しいが、自身が設計し既に解体された建物は2件ある。ともに仮設的な建築ではあるが。

まずは、保育所の建替えで敷地内に建てた仮設園舎。仮設といっても基礎は鉄筋コンクリートでしっかり作り、時間をかけて検討、計画したので想い強かった。使用期間は数か月ではあったが着工から解体まで見守った。やはり仮設のプレハブ建築の解体はあっという間に終わってしまう。十数日前まで子ども達の声がきこえてきた建物がすっかり消えてしまったとき、更地になった土の上を無意味にうろうろしたのを記憶している。

つぎは、今から二十年以上前、大学在学中に設計した焼物小屋。属していたサークルの美術研究会の活動で使う陶器を焼く灯油窯の小屋。窯は活動の象徴で部員にとって大切な存在だ。長い間使っていた手づくの窯を取り壊すことになり既成の窯を購入し、その囲いを建築学科という理由で私が設計することになった。図面や写真は一切手元に残っていないが、とにかく楽しくて夢中で鉛筆を動かしたことを覚えている。単管パイプを組んで波板で囲うだけの簡単で仮設的な小屋だったと思う。卒業後しばらくして後輩から解体されたことを聞かせれた。

悲しい気持ちにはならなかったがいろいろ考えた。形あるものはいづれ消える。建築なら数十年、車や家電製品は十数年、その他一年で消えるものや数日というのもある。ディナーで出てくる美しい一皿は数十分で消えてしまうのがシェフはどのような気持ちなのか。建築は自分を表現したものが長年存在するので設計者は幸せ者と思っていたが、料理のように一瞬で消えてくれた方があきらめがつくのかな、なんて想ってみたり。